どこもかしこもひかりごはん

どこもかしこもひかりごはん

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朝の時間がだいすきだ。朝は嫌でも頭がぼーっとして、何も考えなくていいような気がして落ち着く。ぽかーんとした顔で椅子に座って、黒糖パンを食べてる時間がこの上なく幸せだ。賞味期限が刻々と遠のいてる黒糖パン……

昨日の夜に吉祥寺の道端でヒラタクワガタを拾った。でっかいゴキブリ見つけた!!!と思ったら、あら♡ハンサム♡な黒光り♡。こんなところで迷子になっているなんて、どこかの家から逃げ出したんだろうなーとか思ったらとてもかわいそうになってきて、せめてものとマンションの間にそびえ立つ大木に放して帰った。ああでも悔しい!!もうちょっとだけ戯れればよかった!!!きい!

相手に向ける心配って、本当は誰に向いてるんだろって思った。今までの自分のことをものすごく反省したし、誰かのことを過保護に思うことの身勝手さをわかった気がした。

まだ未熟でも、大人は大人だ。みんな大人なんだよね。

別に否定するわけじゃないけど、心配してるよって思ったり伝えたりしちゃうのってなんでだろうねって話をしてハッとした。心配だなあって相手に伝えるのって何の意味があるんだろうか。相手のことをどこかで信頼していないんだろうね。あはは、自分が尻拭いする自信がないからかな。尻拭いしてくれなんて頼まれてもないのにね、って。うまく言語化も支え方もわからないことを“心配”って言葉と態度に置き換えるしかないのかな、でもなんか気になっちゃうんだよね。そんで、そういうなんか気になる感じはほぼ勘だよね。宇宙レベルの話になるかもしれないから、そこまでわかってもらおうとするのはそりゃ難しいよね、って。

大切ない人のことを考えるのってちゃんと意味がある。だからここまで、最後のひと絞りまで相手に全部伝えられたら本当はいいんだけどね

韓国の友達が言っていた「ケンチャナヨ〜(大丈夫だよ〜)」「ケンチャナ、ケンチャナ、」を思い出すとなんだか安心する。手をパッパッと払いながら言う感じ、なんか知ってる安心感。

その友達とは翻訳機を使いながら、お互い拙い言葉でやり取りしたけど、最近でいちばん笑ったんじゃないかと思うくらい腹を抱えて笑いあった。小学生レベルの楽しみが大好きだ。小難しい話ばかりしてる自分が一瞬どこかへ行った感じがして気持ちが良かった。

非言語がいっちばんだいじ。わたしはジャミラ語やそれにも満たないような小さな生き物たちとよく関わるから、そんなことわかってたつもりなんだけど、やっぱり日本産のジャミラ語は日本語類だよねー。

またひとり保育の世界で辛い思いをしている人に出会った。あの時との時間が遠くなればなるほど、わたしはもっと客観的になって「辛い気持ちになる人を救いたい!」と思うようになる。厚かましいほどに救いたいと思ってしまうよ。せめて絵本の選書だけは年間計画も月案週案も立てるから、その分ゆっくり休んでほしい。

毎日毎日贅沢な食事を与えてもらって、順調にぶくぶくと肉が増えていってる。食べることってたのしい。この人と一緒にこれを食べたい、とか思うことって素敵だけど、そんなに食に意味を見出さなくても良いのかもしれないとも思った。最近。やっと気付いたんかい!

本当に幸せな人生です。今日までのことはもうおしまい。

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