どこもかしこもひかりごはん

どこもかしこもひかりごはん

3/21

韓国に来て約2ヶ月。初めの頃は、毎日生活に違和感を感じてずっと立ち止まっていた。味噌汁じゃない、出来上がる前の出汁の味が恋しくて、わざわざ日本の食品が売ってるスーパーまで足を運んだりした。それでも満たされなかったのは、めちゃくちゃに暇だったからだと思う。

今週は激しく韓国語の勉強をして、疲れた。だから夜にサムギョプサルをめいっぱい食べた。それが本当に美味しくて、味だけではない欲が満たされた。次の日の朝までずっと気持ちが満たされていた。

余裕のある時間が恋しくなったり、忙しさに喜んだり、私はずっとわたしなんだな。

韓国の大学にて、3週間の短期コースで勉強しているのだけど、授業は韓国語と英語だ。序盤で気付いたことは、「勉強する順序間違えたわ」だった。英語がわからないので、頭の中では、まず英語を日本語に変換することで忙しい。その後に韓国語へとシフトチェンジしようと思った時には、「다음(次)」と言ってガシガシ進んでいく先生。私は聞こえた言葉をカタカナでメモして、後から調べる。友達に聞けばいいものの、友達作りも英語が必須なので、私にはすぐに手を伸ばせる作業ではない。いつも眉間に皺を寄せているためか、先生はわたしを見て「ヒカリシ、ケンチャナ?」とよく言う。「ア、アニヨ、、」と言ってみたら、英語と韓国語での説明が始まって余計に糸が絡まってしまったので、以後、「ケンチャナヨ!」と言うことにした。

テスト前の模擬試験的なものをやったら会話がまるでできない。というかみんなの前で声を出すことができない。周りの若者たちはわからなくても自分の考えを絞り出して発言していて偉いなあと思う。29歳にもなると、やる気や笑顔だけでは動かないものがあるんだにゃ。このままだとテストは突破できないんだけど、脳みそギガに速度制限がかかっているよ。

しかし、言語でコミュニケーションが取れないが故に、単語がストレートに頭に残ったり、ボディランゲージが豊かになったりもしてる気がする。違いを感じれば共通もよく見える。

文化体験というプログラムでハンコ作りをした時のこと。昼過ぎのあたたかで心地良い時間と、先生のやさし〜い声と表情、静かな部屋に響く作業音に私は気持ちが落ち着いていた。すると、隣に座った同じクラスのメキシコ人の子が、「先生の声がとても優しいね〜、リラックス〜、いいね〜、」と言ってきた。わたしも同じことを思っていたよー、のようなことを伝える。生きている国は違えど、心地良いと感じる原点は母の胎動なんだな。皆同じ生き物だと思ったら、部屋の中にいる様々な国の人々がとても近い存在に感じた。それ以降、事あるごとに「잘자〜(おやすみ〜)」と小ボケをすると、彼女はその度にクスクスと笑ってくれた。

異文化ってどこから始まるんだろうか。どこからどこまでを異文化という概念の中で考えるのだろうか。

一日3時間でいいからバイトしたい。それで友達とコーヒーを飲んで帰る、みたいな景色の切り替えが欲しいな。

f:id:roppu628:20240321140706j:image