5/29
朝9時頃に目が覚めたけど、なんかスッキリしない。洗濯物を少しだけ回して、干してから二度寝をする。
この瞬間も、どこかで新しい命がうまれているんだよなあ、と、昨日の感動の余韻に浸った。
:
昼過ぎにやすと会うために出かける。
つつじヶ丘の手紙舎に行った。休日の団地はにぎやかだった
えりぴょんやはなちゃんとここら辺を散歩した時のことを思い出して、急に空気があったかくなったような気がした。匂いとか思い出したりして。
やすの家で餃子を包んで、ホットプレートで焼いてみんなで食べた。お姉ちゃんも遊びに来てくれて、実家みたいな場所だ。
久しぶりに疲れるまでたっぷり遊んだ気がする。
家に帰ると、ゆうやさんはカップラーメンを食べたあとらしかった。
わたしがもし毎日のようにカップラーメンやコンビニ弁当を食べる生活をしていたら、やすのお父さんとお母さんに怒られるんだろうなと今日の食事風景を思い出した。
ひとり暮らしを4年間していてもそんな食生活、したことないけど。
食事ってその人を作るものだから、好きなものを食べて、好きなような形で満足すればいい。
けどそれが惰性でこなすみたいなことになら、やめたほうがいい。もういっそのこと食うのやめたら、と思う。
世の中には、あたたかくて、美味しくて、愛が詰まっている食事が溢れていることを忘れてはならない。
そういう食事にありつくことができるのに、手に入れ方を知っているのに、惰性を選び続けるなんて、勿体無くて贅沢だ。
「いただきます」「美味しい」「ごちそうさま」「おなかがいっぱい」と、無理矢理にでも口に出してみたら、勿体無くて贅沢で堕落していることに少しだけ気がつけるのに、見てみぬふりをするなんてな。蜜を吸う虫の方が豊かだよな。
:
5/30
また日曜日がきた。おっかしいなあ、おとといくらいに日曜日来てなかったっけ?
12時頃に起きて、まーたやっちまったこの時間まで眠るやつ…って思ったが、なんか元気だ。
よし動こう、と、えりぴょんに電話をして吉祥寺で待ち合わせることにした。
しかし今日も今日とて身支度がスムーズにいかない。えりぴょんだったら、途中でチョンチョンとチークを塗ったり、サクサクっと皿を洗ったりしても、ちゃんと整えて出発できるんだよなーあれどうやってやってるんだろう、と考える。
そしてまた手が止まっていることに気が付く。
ちょっとわたしったら病気発動してんじゃねーのか?と、目をパチパチさせて呼吸をし直した。
お茶をして、お店をみて、ご飯を食べて、えりぴょんの家に行ってゲームをする。
なんだか今日はすごく元気だ。帰ろう、と駅へ向かう。23時すぎ。
家に帰っても、今日はまだひとりの時間はたっぷりある。
あーまだ遊びたかったなあ、楽しかったなあ、と、素直に別れをそれ相応にさみしく思うこと以上に、何かを思いながら家に帰るなんて何やってんだろうなと、諦めのような気持ちでサクサク電車を乗り継いだ。家に帰るだけなのに。わたしの大切なモノたちが溢れてる、大好きであるはずの家なのに。
好きな人が居て、嬉しい生活のはずだったんだけどな、と、俺の中のメス思考悪魔がよぎる度に、体の中で大絶叫してかき消した。イヤホンの音量を上げて。
あーなんかかき消し作業したらスッキリしたわ帰ったらアイス食べよー、って、コンビニに寄ってアイスを買って家に帰ると、
今日は遅くなると言っていたはずの人がもう家に居て、ズコーーーーーーーーーって全わたしが転げた。
色々考えてた自分が馬鹿馬鹿しく思えた。
ああやっぱり考えすぎるのはやめよう。いろんなことを無駄にしたくない。大音量で聴く音楽が、何かを塞ぎ込むためのものじゃなくて、楽しむものであったほうが良いもんな…
ひとりでひなちゃんねるをやって、仲間たちのことを思い出して大爆笑して、少し残った気泡を潰すために「おやすみなさあああああっっっっい!!!!」と布団の中から叫んで就寝。
もう病気でいいですから、俺の世界を生きさせてくれ。