どこもかしこもひかりごはん

どこもかしこもひかりごはん

 

 

番外編

 

 

3/31、4年間の保育士人生が終わりました。

入職半年で、太った女からいじめを受けて戦ったり、子どもの生活を考えていたら自分の生活を見失って死にかけたり…

隙のない、凝縮された4年間だった。

 

 

最後の日

食事の時間、5歳児の女の子が突然食べる手を止めて「せんせい、いままでありがとう」と言い、顔を伏せて涙をポロポロと流していた。

はにゃにゃ?!とちびっこたちに見守られながら、一緒に泣いた。

昨日までは「わたしも卒園するし、そんな寂しくない」とか言っていたのに。

その子は帰り際にお花を渡してくれる時も、込み上げる涙をこらえたり、ホロホロ流していた。

 

3年間、一緒に過ごしたその子は、初めは全然気が合わなかった。出会いの頃には、しつこく抱きしめるとものすごい嫌な顔をしていたし、絶対に残していたにんじんを「毎日味が違うから一口は食べてみな」と言うと、毎回睨みつけられていた。

でも、しばらく過ごしているうちに、しっとりとまとわりつくようになったり、にんじんも「先生に言われて食べてみたらおいしかった。言われなきゃ残してた」とボソッと言いながら食べられるようになった。

 

子どもの成長を見れることは嬉しい。それと同時に、わたしの投げかけたボールをちゃんと受け取ってくれたことは、保育士としてしあわせな瞬間だ。その子はただ言われるがままやってみたらできちゃった、ってことに、自分と先生がいたということをわかったんだ。子どもって本当にすごい。

 

 

 

大変な子、散々怒り、保育園に行かないとわめいていた。「新しい先生のこと、先生はだいすきだからきっとあなたもだいすきになるよ」と伝えると、「仕方ない、がんばるか…」と納得した。

そして最後のお昼寝トントンタイム、「おねがいだから、急にいなくなったりしないでね」と、ウトウトしながら何度もわたしがいることを確認していた。

 

そのお母さん、関係を築くのがそれはそれは大変だった。でも、この最後の日に、「せんせいはもう一人のお母さんみたいなものだから」と、ありがとうありがとうと頭を下げていた。

 

 

つらくてしんどかったあの頃が報われたような気がした。どうがんばっても真っ直ぐにしか進めなくて、でもそれでいいのかと迷っていたことも、間違っていなかったんだと思えた。

 

 

帰り際にはお花やプレゼントを持ってみんなが集まってくれて、涙が止まらなかった。入職した頃から可愛がってもらっていた家族は、最後までその姿を笑い、「おつかれさま」と仕切りに声をかけてくれていた。

 

 

 

想像するようなキラキラした歌遊びとか、みんなで集まって遊ぶゲームとか、そういうのをすることは好きじゃなかったし、行事もめんどくさくて嫌いだった。でも、子どもの毎日の当たり前の生活に寄り添うことがだいすきだった。

嬉しいことも、悲しいことも、その瞬間に立ち会うよりも、ホッとひと息ついた時に、そこに居る大人で居たいと思っていた。

忙しない毎日の中で、行き着く先に安心する人がいたら、わたしは今日はもっといい一日だったと思えるから。

あと、寝かしつける瞬間のあの愛おしい空気感たるや…。毎日毎日、大変な子を寝かしつけていたわたしは、多分寝かしつけられない子は居ないです。多分。いや、たぶん。

 

 

保育士って、何が大変なのか、なんでそんなにみんながんばらなきゃいけないのかわからない人って多いと思うんですよ。一日のほとんどは、みんなが思っている「子どもと遊んでるだけ」だから実際のところ。でも遊ぶ子どもはいつも一人じゃないし、全員もれなく他人の子なんだよね。それでいて、ただただ楽しいと思わせといて、実は腕の動かし方まで考えていたりする。

 

保育士に限ったことじゃないけど、大変さとか専門性ってその人たちにしかわからないことが多い。でもわからないことを見えないことにはしちゃいけないのだー

 

 

もう少し先の未来では、保育士に優しくあってほしいし、みんなが誇りを持って働けていたらいいな。きもい承認欲求だけが取り残されていかないように。

そして子どもたちが、誰にとっても大切にされることが当たり前であってほしい。みんながちゃーんと、“子どもにとって”ということを頭の片隅に置けるような。子どもって大人の力なしでは生きていけないし、大人にとっても子どもの存在の豊かさは必要なものだから。

 

 

結の前に

 

 

わたしがクソ生意気幼稚園児だった頃、だいすきだった先生のことを想う。

その先生が退職をする時、わたしは先生の膝の上に座り、嫌だとメソメソ泣いていた。そうすると先生も涙を流し始めて、わたしは驚いた。大人が泣く姿をあんまりみたことが無かったから、大人も泣くんだ…!とびっくりした。

 

どうして先生が泣いてるの?と聞くと、先生は「うれしくて泣いてるんだよ、ひかりちゃんが…(寂しがってくれて、のようなことを言っていましたが、ひかりちゃんが以降の記憶が曖昧です)」と言った。

うれしくて泣く…子どもと一緒に泣く大人…はにゃーん、ぽかーん、とわたしは不思議な感覚でいっぱいだったが、今になってそれがわかる。やっとちゃんとわかった。てか、完全に再現された。すごい。

わたしの心の側にいてくれた、先生の優しさをいつも手本にしていました。“教える”ということの奥行きを。

 

 

 

何を考えるにも、いつも間には子どもたちがいて、そんなあったかくてかわいいことに包まれるこの仕事がだいすきだ。

健やかなる時も病んでる時も、明るい言葉をかけてくれた周りの人たち、ありがとう。わたしひとりの思慮の中では、最後までやりきれ無かった。

 

 

 

さあ、ニートになります。

かわいいものに触れない生活、耐えられんのか〜

 

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