どこもかしこもひかりごはん

どこもかしこもひかりごはん

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朝の光を浴びたら今日もたのしくなりそうだとウキウキした。青空って偽物みたーい。

子どもが人形の目をぐりぐり触ったりする。デュクシデュクシッて。パチパチ瞼が動くタイプの人形は特によくそれが起きる。

動くものが気になるとか、目という存在の認識とか、特段気にするほどでもない普通の行動心理なことがほとんどだ。しかし中には、怖いから触る、ってこともある。怖いものを無くしたいとか、見えなくしたいとか、そういう感じだ。まあ子どもの発達ではこれもあまり気にすることでもないけど。嫌なことを見ないようにして、無いもののようにするのは、私たち大人の生活でもよくあることですよね。ギクッ。

受け入れたくない、認めたくない、そう思うのに、手は伸びてぐちゃぐちゃにしたくなる。自分の気持ちが悪ではない、自分にこういう気持ちを感じさせたのが悪いんだと思いたい。自分の弱いところへの向き合い方がバグる。誰かをいじめたり、ハラスメントなどの攻撃の根本って結局は育ちきっていない心の問題だ。成長と我慢が同等かどうかは紙一重

 

おばさんというのは失礼で、若い子、というのは失礼じゃないのは一般論?それとも斜めな感覚?

わたしは自分のことを“若い子”という代名詞で置き換えられたり、まだ若いから〜、とか言われたりするのはなんかちょっとむずっとする。

代名詞って複雑だなあ

彼氏とか恋人とかもちょっとそんな感じ

東新宿あたりの静かな狭い路地を歩いていたら気持ちがどんどん死んでいった。狭い、細い、小さい、ぎっしり、静か、薄暗い、わたしの身体が喜ばない条件らしい。なんなら新宿駅でいいからはやく人のいる開けたところに戻りたかった。そして早く家に着きたい。

ごちゃっとしたところで過ごしていた記憶を消したいな。

 

花粉症がひどすぎて春のことが嫌いになりそうだ。くしゃみをしすぎて体がとても疲れる。する瞬間はその勢いに気持ち良さを感じなくもないが。

今あの人が隣に居たのなら、わたしは今のわたしだっただろうかと考えたら、きっとそれは全然違うものだったと思う。自分の好きじゃない自分、の線の上に居たと思う。今はそれなりに自分のことを好きになっていると思う。春の風を存分に浴びてこのようなことを考えている。思い出すものがかわいいもので溢れるようなおばさんになりたいな。身近に関わる20代の子に、かわいいおばさんがいてね〜って言われたい。

昨日熱が38度を超えた。熱が出るととにかく腹が減る。フランスパンとか、かりんとう饅頭とかハードなものを食べたくなる。誰かに助けを求めようとしたが、スマホの画面を開くだけで酔うような感覚になって、とにかく寝続けた。ひどい腹痛に襲われてのたうちまわっていたが、なんとかお粥を作って食べたら瞬時に腹痛は治った。美味しかった〜…えーー!!お腹痛いの治ってるー!!!って…なんだったんだろうね、自分の体のことで度々悩む人生だけど案外単純なものなのかもしれない。

朝起きて部屋がぐっちゃぐちゃでめちゃくちゃ笑った

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