どこもかしこもひかりごはん

どこもかしこもひかりごはん

 

先日の書店バイトでのこと

仕事がひと段落して、クッキーをボロボロこぼしながら、他のスタッフとひと息つきながらおしゃべりをしていた。

そうしているところに、小学2年生の妹にあげる絵本を探している、と言う大学生くらいの男性がやってきて選書を頼まれた。いいお兄ちゃんだなー、妹が可愛くて仕方ないんだろうなー、とほくほくした気持ちで選書スタートした。

好きなものや最近ハマっていることなどはありますか?と聞くと、うーんちょっとわからないな… と言っていたので、似合いそうな雰囲気とか色とかそんな感じでもいいですよと伝えると、 亡くなっているからわからないんです と答えた。わたしは一瞬、えっ?ナクナッテイル??…って言ったよな、無くなった…?何が?いや、違う そう思った時には彼が 0歳で亡くなったから好きなものとかわからないんです と追加してくれていた。じわじわと目に涙を溜めていた。申し訳ない。自分がいかに死を知らないか痛感。胸が苦しい。 わからないけど、毎年絵本をあげているから、今年も絵本をあげたい とも話して、指で目をぎゅっと押していた。また、ぐっと胸が締め付けられる、一緒に泣きそう。しかしアタシが泣いてちゃいかん、 あああ無理しないで、ゆっくり一緒に探しましょう、絵本はこんなにいっぱいあるから!! と、くるくる回るように、彼との間の空気を掻き集めるようにスタートラインに戻った。

手には彼がすでに選んだ絵本が数冊あって、どれも少し幼くて、でも小2の女子が喜びそうなものだった。 いい絵本を選びましたね と声をかけると、 ほんとですか! と、安心したように絵本を見つめていた。小さいクリアファイルも重ねて持っていたので、 これも妹さんへ? と聞くと、 ファイルとかそろそろ喜ぶ頃かなと思って…  とまた涙を堪えるように話していた。

またもや私も泣いてしまいそうだったので、ここら辺のやつ見ながらちょっと待ってて!!と、猛スピードで選書開始。数冊持って行って、あらすじを説明した。しかし、うーんどれがいいのかわからないな…と、なんだかピンと来ていない様子。

ラインナップを見て、あっいけない、アタシの想いが溢れすぎた!!と思い、 小2になった妹さんにこんな絵本を読んでほしいなとかありますか? と改めて聞いた。すると、 冒険のお話がいいかな… と言っていたので、また選書を始める。冒険の絵本は男の子を主人公としたものがわりと多いから迷った。大きい子向けのものは、壮大さが故に静かな描写も多いから、読み込みが求められるしな…とか。シンプルで王道なものとかの方が意外といいのかも、と思い、ちょっとテイストを変えて数冊選んだ。その中の一冊を手に取って、 これがいいな、これにします! と、何かビビッときたように決めていた。

一緒にレジへ向かった。どんなふうに渡すのかなと想像して一瞬迷ったが、 ラッピングもできますよ、クリスマスラッピングもあります と伝えた。彼は少し小さな声で クリスマスラッピングでお願いします と言って恥ずかしそうにこにこしていた。紛れもなく優しいお兄ちゃんの姿だ。大切な人への贈り物を買う人の優しい姿だ。大切な“誰か”を想うことに差などない。選書を始めた1時間前の姿よりも、自信と喜びに満ちていた。

私はこの絵本たちに込められた想いをガッチリと受け取り、クリスマス仕様のラッピングをした。今じゃない今じゃない、泣くのは今じゃないと言い聞かせながら包んだ。

いい絵本が見つかってよかった、妹さん喜びますね と包んだ本を渡すと、 ありがとうございます、ありがとうございます とペコペコ頭を下げ、見えなくなるギリギリまでそうしていた。

スタッフスペースに戻ってわたしは大泣きした。毎年毎年、きっとこうやって悩んで、涙を浮かべながら絵本を選んできたのだろう。これから先もそうしながら、この季節を迎えるお兄ちゃんの優しさがあたたかくて、切なくて、悲しみでも喜びでもないこのどうにも言い表せぬ気持ちを吐き出すように泣いた。

わたしは命があることを普通のことだと思っているんだな。いくら小さな人たちと触れ合い、よくここまで大きく育ったねと成長を噛み締め、尊いものだと思っていても、そこにあるのは形ある命だ。

 

わたしは五年前、一緒に過ごした少年の死を聞いたことがある。聞いたことがある、って、おかしな言い方だけど、これが素直な感覚だと思う。未だに現実に起きたこととは思えないことで、彼の死を思い浮かべる時は、悲鳴が同時に聞こえる。痛かっただろうな、とか、苦しかっただろうな、とか、そんなことばかりを考えてしまう。現実ではないような、悲鳴に寄り添えば救えることのように感じるのは、彼が笑顔で楽しそうに過ごしている姿や、わたしにもたれかかって、心地良さそうに過ごしていた記憶があるからだと思う。繰り返しその温もりを当たり前に感じた。好きな色や、好きな遊びも知っている。その形をしっかりと掬える。悲鳴は想像で、目の前で見ていたのはたのしく過ごしていた彼だから、ずっと小学五年生の彼のままで止まっている。死後の世界のことはわからないけど、これが成仏できるできないの話ならば、成仏というのはとてもとても、大変に困難なことだ。

たくさん見えていたものさえも未だに、きっと永遠に受け入れられないわたしには、今日の“お兄ちゃん”の妹を見つめる姿が、力強いものに感じ、わたしがたどり着くことのできない境地の先にいるんだと思った。“お兄ちゃん”にとっての妹は、どんどん成長している。掬えるものが少なくても、ちゃんと未来に向かっている。しっかりと意味が繋がっていく。悲しみと喜びを行き交うところから少しずつ、本当に少しずつでもいいから、今は亡き妹のためを想い絵本を手に取る時間が、しあわせなものになっていくといいなと思った。かけがえのない思い出の時間として、掬える出来事になってゆける。

ある も ない も命は重ね合わせることはできない。ある時にはある時の方法を、ない時はない時のその先がある。枝が別れて行くように、完全に分裂はせずに根元では全て一体している。

大人から子どもへ渡されていく絵本の喜びの姿を、またひとつ知りました。教えてもらった。幻想、理想、願いの答えはいつかちゃんと舞い降りてくる。

 

もし、この先もまた、このお兄ちゃんが来てくれたのならば、その時はどんな絵本を紹介しようか。とびっきりのおすすめ本を用意して待っています。