どこもかしこもひかりごはん

どこもかしこもひかりごはん

4/5

 

駅までの道にはハクモクレンがたくさん咲いている。大きな花びらがぺらぺら揺れていてなんか笑っちゃう可愛いさだった。花っていいなって思った。

もう少しで生後2ヶ月、という小さな赤ちゃんを抱かせてもらった。

雨だしなんか気合い入らんな〜〜〜と、だらっだら仕事してたら、小さな赤ちゃんがやってきた。お母さんはワンオペ育児でとても疲れているようだった。自分用のおにぎりを持ってきたから、ちょっとごはん食べてきまーす、と食事スペースに向かったが、食べ始めてすぐに子どもは抱っこを求めて泣いていた。子どもの察知能力ってすごいよねー。、。大人の計画なんか問答無用で崩していくのね。よかったら私が抱っこしてるから、その間にごはん済ませてミルク作ってきていいですよーと声をかけて、子どもを抱かせてもらった。まだ首の座らない柔らかなその子をしっとりと腕の中へ迎える。はじめは泣いていたが、歌ったり揺れたりしている間に、すーっと眠ってしまった。ああわたしのだいすきな瞬間だ。子はそのまま30分くらい寝続けていた。子どもが寝ながら口をチュッチュと鳴らすと、お母さんは「どんな夢見てるのかな…」と、子どもを見つめながらそっと言葉を漏らしていた。いま必要なことって、こういうつい口に出ちゃうことなんだろうな。子がいま何を考えてるか想像するとか、別に要らないことのようできっといつかのためになる。いまのためになっているかもしれないけど。そのやさしい空気に包まれた瞬間はわたしのためにもなったよー。

明日も来ます!と言って帰って行ったお母さんはもう勝ちだ!

上の階の人が深夜帰宅をしたらしく、その物音で目が覚めてしまった。こっちは消防訓練の夢見てたんだけどー。夜中に目が覚めると、わたしは眠るまでにまず空腹を満たさなきゃいけない。わたしけっこうずっとお腹が空いていることがおおくて、食べてもお腹が空いていて、困った体です。

夜中に目が覚めて何か食べたい時は何を食べる?わたしは素パスタが王道なんだー。

10日間くらい人を家に招いて一緒に過ごしていたから、それが無くなった今、ルーティンや気合いの入り方がグチャって呼吸が浅い気がする。珍しく、仕事行くのやめようかなーとか考えちゃって、自分の弱さを思い出したのでした。

あー仕事行くのやめようかなー

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3/17

バナナの気分じゃない時に食べ始めてしまったバナナの終わり遠いな…

大学を卒業して、新入社員として働き始めた日のことを思い出す。

0歳の子を抱かせてもらった入園式、その繊細な重みに心臓がバクバクした。保育園で長らくバイトもしてたし、勉強もめちゃくちゃがんばっていたけど、その重みに敵うものは何もなかった。ちっちゃいくせに、何よりも重いのね。新入としての顔見せの緊張は微塵も感じなかった。

食があまり進まなかったMちゃんのことはとても気がかりだった。一口食べたらもう食事は終了してしまう。皿から何か強力な魔力が放たれているのかと思うくらいにのけぞって拒否していた。小柄だから、両親もとても心配していた。連絡ノートに「食 一口」と書くことが申し訳なかった。申し訳ないと思っても仕方がないので、さっさと気持ちを切り替えなければと何度も背筋を正す日々だった。

Mちゃんを抱いて給食室をのぞいてみたり、お皿の盛り量を減らしてプレッシャー軽減をしたりした。ミルクの量は10mlずつ減らす。とか、もう一口に辿り着くために試行錯誤した。自分の食事を食べる度に、一口しか食べられないMちゃんのことを想った。

いつかは食べる。子どもはちゃんと成長していくとわかっていても、今この姿のことがとても気がかりになる。自分がドツボにハマりかけて、やっと親の気持ちに少し触れられたように感じた。わたしが親支援をしたいと思ったのは、Mちゃんのおかげかもしれない。

そんなMちゃんとは4年間を一緒に過ごした。大きくなったら一緒にプリキュアになろうと夢を語り合ったりもした。わたしが保育園を退職することを知った時には、怒っていて、悲しそうで、二日間くらい口をきいてくれなかった。「ほいくえんやめるのをやめてよ…」って何度も言われ、わたしはひとりトイレの中で声を殺すようにして泣いた日もあった。

そんな彼女も卒園式を迎えた。卒園式の朝、「あかちゃんのころからめんどうみてくれてありがとう」と手紙を読むMちゃんの動画が送られてきた。わたしは泣き崩れたよ。赤ちゃんの頃から面倒見てくれてありがとう、なんてこと言われたことありますか?わたしは初めてでした。言葉にできないくらいの喜びと、ここまで元気に育ってくれてありがとうと感謝で胸が張り裂けそうだった。生きててよかったとさえも思った。

今の自分がいちばん好きだけど、小さな人たちと懸命に過ごした2年前の自分のことも大切だったんだ。あの時の暮らしが大きな喜びを持ってきてくれた。いつまでもわたしのことを「せんせい」と呼んでくれる人のためにも強く生きなきゃと思った。

そんなこんなで、走馬灯のように過去を辿り、これでよかったのかわたしの人生、とか考えていた。

気持ちがざわつく中、本屋バイトの先輩とごはんに行った。お店をはしごしながらお互いのことをたくさん話して、本当にたのしくて良い時間だった。

あの時に子どもの願いを振り切ったことをひどく後悔もするけど、そうしなきゃ出会えなかった今日のような時間がある。本屋の人たちに巡り会えたことはわたしにとってものすごい大きな宝だ。今在るものを大切にしようと、ちょっと新しげな気持ちになりながら、サムギョプサルをむしゃむしゃたべたよ。

焦りが着火剤になって加速できるタイプの人もいるが、わたしは焦りからはゴミしか生まれないタイプだ。ゴミが生まれるとわかっちゃいるけど、焦りに飛び込む安心感はなかなかしぶとくこびりついている。わかっちゃいるけど、ってことと距離を取っていきたいな。

少し落ち込む出来事があったんだけど、これもこのよくできた人生のための最善の谷なんだよね。はやく谷から這いずり出て登頂したいな。わたしは事実よりも気持ちを知りたい。ああっもう!!何に対してもキレ散らかしきれないこれ!!だって誰も悪くないんだもんね!!ポテト食べよね!!

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3/8

 

新しく歯磨き粉を買ったのに、「ああもうっ」って言いながらめんどくさそうに最後の一滴を搾り出した。そうならなくて良いように新しく歯磨き粉買ったのにね。

仕事では、「子どもにハイハイってどうやって教えるんですか?」とか「明日の離乳食は何を食べさせたらいいですか?」とか、ピンポイントな質問を受ける。できるだけ的確に答えるんだけど、親たちは「はい、はい、わかりました」とまるで病院の先生に診断を聞くように真剣な眼差しで返事をする。いやだよぅ、これ。でもこれがわたしの役割だ。与えられた立場。

それで誰かの何かが救われているならまあいいか。と、死に際に立たされるのである。

今日は生後3ヶ月のホヤホヤ赤ちゃんがやってきて、何度もあくびをして、明るい窓の方をじーっとよく見ていた。その朴直な姿に、生きるということを教えてもらったようだった。

職場の子とごはんに行った。その子はわたしが尊敬している仕事をやっている。わたしにはやりたくてもできないことをがんばっていて、本当にすごいなと思う。仕切りのカーテンをシャッと開けて、「ねえ鍋食べ行こ」とか言ってくる。めちゃかわいい。最強新卒。

その子は長らくわたしが悩んでいることを知っていていつも助けてくれる。「ひかりさんはチャキチャキ仕事できるし、きっといろんなことをうまくやれると思われてるんですよ、だから嫌なことも自分でなんとかできそうって思われてるのかも。」業務は違くても、こうやってちゃんと見ていてくれる人が居てわたしはしあわせだなと思った。同時に、結局自分の働き方っていつもずっと変われないままなんだなって。全力投球じゃないとなんかヤダ!!!でもそうするといつもホームラン打てると思われるからそれもヤダ!!てかそんなことあるわけない!!

電気&ガス代が高くてびっくりした。びっくりして、は?請求間違いじゃね?って思うほどだったが、多分合ってる。お金持ちの人はこんな価格高騰なんてなんてことないのかな?シャネル買えないぴえんとかならないで新作買うの?すごい。全部妄想だけど。わたしはなんとか払ってみるけど、これ払うのが本当に厳しい人たくさんいるよね。ただ普通に生活してるだけなのに、この高騰分のお金は自分のたのしみやゆとりを我慢しなきゃいけないんだよね。節約して生活にちょっとずつゆとりがなくなって、それでもがんばって働いて、給料は変わらない。きついな。もうじゅうぶん生きるのしんどいです。

先日、久しぶりに前に働いていた職場に用事があって電話をした。話している最中ずっと手は震えていたし、耳はよく聞こえない、というか脳まで通らないみたいな。相手は懐かしい声にすごく喜んでくれて、そして、あの時は自分の力不足で本当にごめんと言っていた。責任を感じさせてしまっているということがとても苦しい。否定も肯定もできないじゃないですか。

はなちゃんと出掛けている最中だったので、そのあとに服とか見に行ったんだけど、何を見たのかあまり覚えていない。ビームスで各々フラついて、あっちにいるはなちゃんを見つけて泣きそうになった。わたしちゃんとここにいるう〜〜、今は保育園の先生じゃないよね〜〜、って。

ちょっと気持ちが疲れてきている。美味しいケーキ食べたいな

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2/26

 

日曜日のお茶の水ー神保町間の道を歩くのが本当に好き!ワクワクしてジタバタしたくなる。

今日は絵本屋さんに友達が遊びに来てくれた。一緒に小一時間絵本を選んですごく贅沢な時間だった。そしたら、なんか、急に先週のことが恋しくなった。みんなでお酒を飲んでマリオカートをして遊んだり、それは次の日にも引き継がれてめちゃくちゃしあわせだった。お店には仲良しの子どもたちも遊びに来てくれた。スタッフスペースで体操をしていたら、「やまざきせんせ〜」という声が聞こえて、「なんでバンザイしてたの」ってクールに笑われた。

ふう。回想終了。

昨日は久しぶりに悪夢っぽい悪夢を見た。人に酷いことを言われたり、ピエロがこちらを見ていたり、手が忍び寄って来たり。あと車のフロントガラスにボール並みの大きさの雹が降ってきてバリバリひびが入った。全部ホームアローンみたいな背景だったけど。目を開けるのが怖くて、夢の中でどうしようって迷った。えええいって開けたら寝入る時と同じ景色で安心した。

隣の人の足音がやけにうるさい。なんかあったのかな。

足音を聞くと、剣道をしていた時のことを思い出す。板の間にドンっと足を着ける音や感覚、そうすると竹刀が面に当たる「パーーーンッ」という音も響いてくる。

剣道は8年間くらいやっていたのだけど、小学生の頃はまじでつらかった。厳しい先生とかかり稽古をする時は、竹刀で面の首元をグッと抑えて横に倒される。立ちあがろうとしても正面から突かれて倒される。痛いしこわいし苦しいし、叫ぶように泣いていた。強くなりたかった。すごい泣き虫だったし。

小学校高学年頃になると、わたしもプチ反抗期?というか感情爆発期?的な時期に差し掛かり、その倒される行為に疑問を感じた。ある日、倒されて倒されて立ち上がるのを諦めて泣き喚く年下の子を見て、怒りが込み上げてきた。かわいそうで涙も出てきた。

次はわたしの番、気持ちを落ち着かせなきゃ稽古にならないことはわかってんだけど、気持ちは落ち着かない。わたしもまんまと倒され、この後はきっともう一度竹刀が目の前に飛んでくる、というところで急に意識がハッと動いて、気付いたときには、先生の竹刀を掴んで横に投げようとしていた。そんなことをするのはどう考えても御法度ですよね。生意気とかそういう域を超えている。一瞬、場の空気が止まったと思ったら、「何やってんだゴラアアアア!!!」と先生は怒って、わたしの面の紐を握って部屋の隅までわたしの体ごとぶん投げた。竹刀もどっか飛んでいった。てか投げられた。立ちあがろうとしても蹴られて倒される。ずっと転がってたし、あれは剣道ではなかった。わたしのお父さんは稽古を見にくることは少なかったんだけど、この日はたまたま居て、険しくそして今にも泣きそうな表情のお父さんを転がりながらも捉えていた。先生というすごい大人の怒りに触れた、この後どうしようって思いながらも立たせてもらえなかった。しかし、もう一人の若い女の先生が、飛んでいったわたしの竹刀を拾って走ってきて「立ちなさい」とわたしに渡してきた。やばいまじで全員怒ってるよな、、と思って面の隙間からその女の先生の顔を見ると、なんか想像してたこわい顔をしていない。ニヤッ?やったれ?みたいな。わたしは、立ち上がってまた掛かり稽古に向かう。なるべく倒されないように踏ん張った。

終わった後、「稽古ありがとうございました。すみませんでした」みたいなことを言いにいった気がする。冷めた表情の先生の前で正座をしている情景だけは覚えてる。救われる返事はもらえないし、なんか悔しくて情けなくて、大泣きした。でも女の先生は、なんか誇らしげなニヤリ顔でわたしの背中をさすり、「この後練習試合しようか」と言った。この時のまだ幼稚全開なわたしは、うわまじか…(まだしばかれんのか、疲れた、帰りたい)と思ったが、後から、それはそういうことじゃないとちゃんとわかった。

剣道は武道に則った作法や身だしなみも厳しく正される。それを教える先生という存在は、子どもながらに“神”みたいな感じだった。なんか、武将?的な。こういうことを大人になってからひと通り思い出すと、あんなに辛かったのに空白の時間のように感じる。苦しさも他人事みたいだ。あの時はこの辛さも頑張りも何かに変わると思っていたけど、それが今の自分の何に活きているのかイマイチよくわからない。忍耐力は剣道じゃなくて母から教え込まれたし。身に染みているんだな〜ということでもなく、やっててよかったと心から思うことも正直なところあまりない。サブストーリー的な。あの時に立ち向かって、というか刃向かってみたのは、それまでに培った強さじゃなくて、生まれ持って備わっている気質とか感情が表に出たんだと思う。わたしって体で覚えるタイプじゃないんだよね多分。って気付いたところから、マラソン大会とかをかんばるのを辞めた。んだった。(小5)

大人の厳しさや苛立ちってわがままだな。形を変えて、なんだか正しいやり方のように鞭を打つ。わたしはあの時間に、くつろげる部屋で好きなテレビを観て笑って居たとしたら、今こうしてブログに過去分析など綴っていないのだろうか。

今日も明日のお弁当を作るよ。空腹は耐えられんから

4歳目前、ほぼ字じゃんね、すごいや

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2/17

 

朝ごはんをしっかり食べたら元気に過ごせるかなーって思ったけど、一日くらいじゃたいした変わり映えはない!

あらゆる最悪の事態を考えて生きてる息苦しい人間なんだけど、今日は「バスの運転手 トイレに行きたくなったら」と検索した。「バスを急に止められたら困る」という意見を見てぽかんとした。トイレに行くから停めると言われても、間に合わなくて漏らしたと言われても、どっちでもあまり関係ないのかもしれない。ただ“バス”に乗り込んだ客だし、バスの運転手にはならないし。結果、これは最悪の事態ではない。トイレ休憩バス停を作ってあげたい。

長崎に旅行に行った。ハウステンボスにみんなで行ったのが楽しかったなー。いや景色とかももちろん思い出深いけど。人が少ないテーマパーク風なところって土地感あっていいよね。誰かと一緒じゃないと行けないところに行くのが好きなのかもしれない。ナインチェカフェに一心不乱なわたしの横で、昔ここで食べたピザのお店に行きたい!とはなちゃんは度々言っていて二人して幼少を辿るようだった。

2日目には別行動する時間があって、このわたしがひとりで展望台まで登った。ぐねぐねした山道を車で登っていた時はちょっと不安だった。登り切って、歩いて展望台まで行く道は少しぬかるんでいて、滑り落ちる自分を何度も想像した。ちっちゃい虫を見つけて安心した。

帰りたくない、ここで暮らしたいと思うほどの旅だった。東京に帰ってからの生活を思い出すと胸が苦しくなるくらいだった。人が多すぎて、帰りの夜道は全然夜道じゃないってことを知った

この旅の話をもっとたくさんしたいなあといろんな人の顔を思い出す。全員を家に集めて、旅スタート日に雪の中歩いた話から、家に帰ってきて納豆巻き床に落として死んだ話までじっくり聞かせたい。

最近仕事に行きたくないと思う朝が多い。嫌なことを思い出す時間が増えている。毎日新宿で乗り換えている自分が幻みたいだ。そんな気持ちで一日が始まるなんて、損している気分だ。早く一人前になって、気持ちの浮き沈みを家の中で過ごす時間に費やしたい。

一緒に働いてる人はよくテンパるから、どーどーってしてるんだけど、同じことを聞かれると「だからあ!前にも言ったじゃん!!」って言っちゃう。心狭いなあって思う。自分の嫌いなところ第一位かもしれない。子どもとは同じ話を500回したってたのしいのにね。大人には子どもでいたいガキンチョなんだなー、だっせー。

早く分厚いコートを脱いで、軽やかに陽を浴びたい。

友達が入院した。お見舞いとかじゃない、もはやわたしが病を代わってあげたい。

つる駒ちゃんは年明け某日、長崎の紙袋を持っていましたね?

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何かを信じていなきゃいけないのはなんでだろうか。

宗教の思想とか、正義とか、そういうことを話して頭の中が複雑になったであるよ。絶対的なことってなんなのだろうか。

 

正義って、道徳とか倫理観みたいなことが大きいんだろうけど、はて、それの行き着く先は何だ…?

キリストとか菩薩の考えだ、と言わない無宗教(無宗教というのもなんか変だけど)の人たちは何と答えるのかな。

わたし的には、道徳、倫理観、経験、感情、大切な人の存在、時には憧れ?理想、とかそういうものをぐるっと混ぜ合わせてにゅっと抽出したもの…

みたいな感じで、正義は正義、ってところもある。あと、その正義が絶対的なのって、その瞬間、その時のことがらにもよるかもしれないかもしれない…など…。

あー、だから保育でも思想の違い的なことが起きて、“教育”と“保育”と分断しなきゃいけなくなったのかな。マルはマルだと教えることと、マルに触れていきながら気付いていけるような環境を整えること、ってどっちも最終地点は「これはマルだ」とわかるようになることだしなあ。

あれ?じゃあ、正義はどれをとっても結論は同じ?過程の話ってこと?いやそういうことでもないな…

 

育った環境とか文化の違いでもあるよねー。

 

難しい〜。誰か諭して〜…

 

お行儀良さそうな卵焼き

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1/27

 

昨日の朝、電車が遅延してすごい満員電車だった。こんな満員電車に乗ったのは初めてかもしれない。でようにも、出口がぎゅうぎゅうで出られない。足がぐにゃりとして、前後からの圧に体の空気が抜けそうだ。梨泰院の事故はこれよりも圧迫されて、苦しい状況だったのか…と考えた。

今の仕事に就いてから初めての遅刻をした

インスタの絵本投稿で、クリスマスの絵本を紹介した。たのしかったことを思い出せるように〜、みたいなことを綴って、あーわたしって断片的なことが嫌なんだなって自分のことを振り返った。

子どもとの生活も、波のような流れを大切にしていた。大波の後はパタリと静かになることなく小さな波に変わるでしょ、あんな感じをイメージして過ごしていた。歌を歌うときも、ボリュームの絞りをすこーしずつ調節するように口ずさむ。心地良さや楽しさは次へ次へと繋がれて行ってほしいから

映画を観に行こうと思って意気揚々と家を出た。映画館についてチケットを買おうと思ったら、財布が無い。家に忘れたらしい。映画、観れませんでした。かわいそ。

最近は寒いから家から駅までバスに乗ることが多いんだけど、今日は駅まで歩いて向かっていたから、帰りの電車分のチャージが残っていた。人生ってよくできてるなと思う。

図書館には午前中のうちに行ったし、買い物も済ませた。夜ごはんも明日のお弁当のおかずも作ってある。久しぶりにゲームでもしようか

 

ポテト食べたいな…

いいお天気の朝が恋しいな…

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