どこもかしこもひかりごはん

どこもかしこもひかりごはん

3/17

バナナの気分じゃない時に食べ始めてしまったバナナの終わり遠いな…

大学を卒業して、新入社員として働き始めた日のことを思い出す。

0歳の子を抱かせてもらった入園式、その繊細な重みに心臓がバクバクした。保育園で長らくバイトもしてたし、勉強もめちゃくちゃがんばっていたけど、その重みに敵うものは何もなかった。ちっちゃいくせに、何よりも重いのね。新入としての顔見せの緊張は微塵も感じなかった。

食があまり進まなかったMちゃんのことはとても気がかりだった。一口食べたらもう食事は終了してしまう。皿から何か強力な魔力が放たれているのかと思うくらいにのけぞって拒否していた。小柄だから、両親もとても心配していた。連絡ノートに「食 一口」と書くことが申し訳なかった。申し訳ないと思っても仕方がないので、さっさと気持ちを切り替えなければと何度も背筋を正す日々だった。

Mちゃんを抱いて給食室をのぞいてみたり、お皿の盛り量を減らしてプレッシャー軽減をしたりした。ミルクの量は10mlずつ減らす。とか、もう一口に辿り着くために試行錯誤した。自分の食事を食べる度に、一口しか食べられないMちゃんのことを想った。

いつかは食べる。子どもはちゃんと成長していくとわかっていても、今この姿のことがとても気がかりになる。自分がドツボにハマりかけて、やっと親の気持ちに少し触れられたように感じた。わたしが親支援をしたいと思ったのは、Mちゃんのおかげかもしれない。

そんなMちゃんとは4年間を一緒に過ごした。大きくなったら一緒にプリキュアになろうと夢を語り合ったりもした。わたしが保育園を退職することを知った時には、怒っていて、悲しそうで、二日間くらい口をきいてくれなかった。「ほいくえんやめるのをやめてよ…」って何度も言われ、わたしはひとりトイレの中で声を殺すようにして泣いた日もあった。

そんな彼女も卒園式を迎えた。卒園式の朝、「あかちゃんのころからめんどうみてくれてありがとう」と手紙を読むMちゃんの動画が送られてきた。わたしは泣き崩れたよ。赤ちゃんの頃から面倒見てくれてありがとう、なんてこと言われたことありますか?わたしは初めてでした。言葉にできないくらいの喜びと、ここまで元気に育ってくれてありがとうと感謝で胸が張り裂けそうだった。生きててよかったとさえも思った。

今の自分がいちばん好きだけど、小さな人たちと懸命に過ごした2年前の自分のことも大切だったんだ。あの時の暮らしが大きな喜びを持ってきてくれた。いつまでもわたしのことを「せんせい」と呼んでくれる人のためにも強く生きなきゃと思った。

そんなこんなで、走馬灯のように過去を辿り、これでよかったのかわたしの人生、とか考えていた。

気持ちがざわつく中、本屋バイトの先輩とごはんに行った。お店をはしごしながらお互いのことをたくさん話して、本当にたのしくて良い時間だった。

あの時に子どもの願いを振り切ったことをひどく後悔もするけど、そうしなきゃ出会えなかった今日のような時間がある。本屋の人たちに巡り会えたことはわたしにとってものすごい大きな宝だ。今在るものを大切にしようと、ちょっと新しげな気持ちになりながら、サムギョプサルをむしゃむしゃたべたよ。

焦りが着火剤になって加速できるタイプの人もいるが、わたしは焦りからはゴミしか生まれないタイプだ。ゴミが生まれるとわかっちゃいるけど、焦りに飛び込む安心感はなかなかしぶとくこびりついている。わかっちゃいるけど、ってことと距離を取っていきたいな。

少し落ち込む出来事があったんだけど、これもこのよくできた人生のための最善の谷なんだよね。はやく谷から這いずり出て登頂したいな。わたしは事実よりも気持ちを知りたい。ああっもう!!何に対してもキレ散らかしきれないこれ!!だって誰も悪くないんだもんね!!ポテト食べよね!!

f:id:roppu628:20230318084338j:image